ひょんなことから、アルツハイマー患者が集合して、LAからボストンまで大行進する。歩くこと、話すこと、考えること、そして笑うことが脳細胞を活性化する。マスコミが混乱すると権力はどうなるか?
大行進
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大行進
2006-11-21-Tue  CATEGORY: SF
大行進13回
ロッキーにふもとを深い森の間を縫うように続く道は豊かな自然が一行を迎えていた



「今日はかなり暑いので、皆様水の補給所がもうじきございますので、
十分に補給してください。」
例によって、地域のラジオ局派遣のアナウンサーが、
やや調子の外れた声で、広報して来た。
前方の道路わきの空き地には色々な簱を立てた給水所が、
行列を待っていたのだが、
氷の入った大きなタンクがずらりと並び用意され、
いくつもの蛇口が用意されていて、
さながらちょっとした縁日といった風である。
この水に工夫が為されていて、色々な水が細かく設定され、
それをパネルでタンクの上に張り出してある。
そして一つ一つに説明員が付くといった念の入れ方で、
グループごとにテントが華々しく装飾されているので、
まるで縁日なのであった。

奇跡の水から、
ミネラルウォーターの大手、
清涼飲料水のメーカー、
更に各種のジュースやスープに至るまでのほとんどの製造業者が
参加しているといった賑やかさである。
これは3台ネットの中継が毎日朝と夕方に定時的に行うというメリットを生かした、
PR作戦として、昼食でのハンバーガーチェーンや
フライドチッキンやサンドウィッチのメーカー等の競争的な出店に刺激されて、
我も我もと言った状況になっているらしかった。
しかしこんなにも見事に勢ぞろいするというのは、
州政府の働きかけが陰で糸を引いているらしいこともちらほらと聞こえ始めた。
ユタの州政府は、モルモン教徒、アーミッシュといった新教(プロテスタント)厳格派や先住民の影響を受けて、
かなりそうした宣伝色やコマーシャリズムを嫌う傾向にあってのだが、
「大行進」自体がそうした雰囲気を取り払ってしまい、
州を上げての歓迎を考えるといった風潮に、
変化していたのである。
先頭集団から次々に休憩の体勢に入り、
3,40分ゆったりと水を飲み話をしながら休むと、
三々五々又行進を始めるといった間合いの取り方で、
中央にある冷風装置つき大型テントは、中々の人気になっていた。
「先生、どの水を飲まれますか?」
「そうねぇ、例のメキシカンの奇跡の水って言うのは何ナノ?」
助手のマーガレットに聞かれて、MMはついつい本音で訊いてしまった。
「何でもメキシコ東部の町で、スペイン統治かに出来た町の泉から沸く水だそうで、
ガンが治ったり、ノイローゼが治ったりするという水で、
余り沢山は湧かないからとても貴重なものだそうです。」
「それが本当ならば、やはり奇跡の水ね?
でも、変なものが入っているというわけではないのでしょうね!」
「何でもアルカリイオン水の一種で、殆ど混じり物はないということですが?」
「私はこれでも科学者だから、何も入っていないものを飲んで、
病気が治るというのは信じられないし、信じる気にもならないけれど。
不思議なことはあるのよね、この世の中には!
これを山上先生やユンカース教授に飲ませたら、この大行進を辞めるかしらん」
「そういう奇跡は起こらないのではないですか?
でも、飲ませる価値はあるかもしれませんね。
しかし、この大行進がここで辞めになったら、先生も困ってしまうのではないですか?だって、折角溜まりに溜まった年休をお取りに成ったのですから。」
「あら、そんなことはないわ、そうなったらいっそ、
ニースやパリに出かけて、沢山休暇して、沢山買い物しちゃうから!」
「おやマァ、そうしたら私も連れて行っていただけます!」
「勿論よ、マーガレット、そうなったら豪勢にやりましょう」
そこにハルプリンが通りがかった。
「ハーイ、ハルプリン、さっきは色々ありがとう。気を使っていただいて。」
MMがややオーバーに声をかけた。
「イヤイヤ、先生のお話はかなり色々な要素を含んでいて、
一般の人には難しいと思いまして。」
「いいのよ、気を使わなくて、大行進ですもの。
それで頼みがあるのだけれど、どうしてもこの奇跡の水という奴を
山上先生とドクター・ユンカースに飲んでもらいたいのですけれど。」
「エーエーっト、僕が先生方に勧めるのですか?」
「そうよ、奇跡が起こるか否かは、あなたの腕に掛かっていると言う訳なの、
だってあなたは山上先生にもドクター・ユンカースにもとっても気に入られているでしょう?」
「MM,それって一寸嫌味な計画だと思いませんか?
だってこの大行進がもう既に信じられないような、いわば奇跡になっているのに、
その中で又奇跡を呼ぼうという魂胆は一体何なのですか?」
「あら、魂胆なんてひどいわ、この水にはほとんど何も入っていないのに、
ガンやケガが治ったというのですから、毒も笑気ガスも入っていないわよ!」
「マーガレット、悪いけれどもう三つ四つもらってきてくださいね、このお水。」
「ハイ、判りました。」
といって水の配給所のほうへスタスタと消えていった。
「じゃぁ、僕は山上先生と、ドクターユンカースを探してきます。
もう到着していると思うので、MMが待っているという風に伝えますから。」
「エー、それでいいわ!」

「しかし、凄いな、こんな給水場がそれこそ3マイルごとに出来ているなんて、
中々ユタ州もやるもんだね。」
と余りの規模の大きさと賑やかさにびっくりしたような体で、
山上がユウンカースに話しかけていた。
「本当だな、これは凄いや、でもどこからこの金が出ているのか知らん。
一寸気味が悪いといえば悪いね。」
「マァ、そう疑ってみてもしょうがないかもしれないが、3大ネットとは怖いねぇ。
やはりこの国はマスメディアの支配している国だということかな。」
「そう言われればそうも取れるが、一朝事があると、
勢いに乗るというのがこの国の国民性といえば言えるからな。
こういう風にメーカーや販社が纏まるのも何かに感じるものが、
この大行進にあるということなのだろうよ。」
そこへハルプリンがやってきて。
「先生方、あちらでMMが、
先生方に飲んでもらいたい水がるといって待っておられますが?」
「ほぉー、主治医さんの指示では飲まなくてはならないなぁー、一寸怖い気もするがね。」
とユンカースが山上に言って、ちょとウィンクをした。
「一体何を飲まそうといってるんだい?」
とそれには答えず、大きく指差して、
「あちらで、お待ちですから。」
と先頭に立って、中央テント入り口付近へと向かった。

「先生方、先ほどは色々とご意見ありがとう御座いました。
私も、脳内の記憶の処理についてはかなり大きな関心がありましたので、
言語以前のイメージとかイメージ以前の音響的記憶とかには、
かなり面白い現象があると考えていましたので。……」
何か遠い昔に会ったことを話でもするように、
感慨深そうにMMは山上とユンカースに向かって話しかけた。
「うんうん、中々の薀蓄でしたねぇ。
もう少しその音響的な分とイメージの係わり合いのところが欲しかったなぁ」
とユウンカースは淡々と感想を述べた。
「イヤイヤ、これからも大脳のことはしょっちゅう話題となりますから、
以後よろしく、お手柔らかにお願いいたします。」
と山上は如際なく挨拶して、
「何か我々に飲ませようという魂胆だと聞きましたが?」
「そうなのです。ここに奇跡の水というのがあって、
メキシコの古い町で湧いている泉の水だというのですが、
まじりっけは何もないそうですので、
奇跡を実行していらっしゃる先生方に飲んで戴いたらと、
このマーガレットが持って来て呉れたので。」
「では、ありがたく頂戴するかなぁ。山上先生」
とユンカースはマーガレットが差し出すトレーの上のコップを取り、
山上にも促しながら、ちょいとウィンクをした。
「では、飲みましょう」

「うーん、おいしいではありませんか?」
「うんうん、おいしい、おいしい」
と顔見合わせて二人で言った。
「ところで、MMももうお飲みに成っているんでしょう」
とハルプリンがすかさず聞いた。
「いーえ、私はまだ飲んでは居ないのよ。
だって、マーガレットが先生に飲ませようといって聞かないから」
「そうですか、では私も飲みましょう」
とハルプリンはトレーのコップを取ってグイート飲み干した。
「本当においしいですねぇー」

「ウワぉー」、といって急にドクターユンカースが、倒れた。
「アレレェー」と奇妙な声を出して。山上がふさぎこんだ。
「変で、変です」
と今度はハルプリンが倒れてしまった、辺りは騒然として、
大騒ぎとなってしまったのである。

救急車が飛んできて、3人を病院へと運ぶことに成った。

その間MMはただ呆然と立ち尽くすばかりで何もものが言えなかった。
ただおろおろとしているばかりで
、顔は蒼白になりぶるぶると震えるばかりで、
マーガレットは直ぐに係りを呼び救急車を手配したのであるが。
で、救急車が5,6分でつくということが判って、
少し皆が落ち着いてきた時に、
遂にハルプリンがむくっと起き上がって、
「そろそろ先生方も起きてください。」
とやや大きな声で言い放った。
「そろそろ、出発しなくちゃなぁ」
とむくむくと起き上がった。何がなんだか判らなかったMM,はやっと気が付いて、
「もう先生がたちたっら、ひどいわ、ひどいわ」
と少女のように泣きながら言って、山上の胸に飛び込んだ。
「ごめん、ごめん、ほんとうにごめん」
とユンカースが二人を抱くようにして大きな声で、
言ってMMにほほずりをしたので、
周りに人々も、やっと何事があったのかを理解し、拍手・拍手となった。
MMはほっとしたためか、恥ずかしげに下を向いて、
まだ駄々をこねたい少女のように頭を振り続けた。
「もう、ハルプリンまでが、私をからかったのね。もう、いつかお返しをするわ、きっと。」
と言いつつも少女のような笑顔は変わっていなかった。
暫しの沈黙があって、そこに居た人々のざわめきが戻ろうとした時、
イタリア人マッセニーノが例の笑いをやりだした、
「ウフフフウー、ウフフフウー」
そこで皆も、
「うふぁふぁー、うふぁふぁー」
会場全体が
「あはははぁー、あはははぁー」
MMはすかさず、
「さぁ、皆さんもまた歩き始めましょう。アハハハァー」
テントの外はかんかん照り、でも気持ちよい風が吹き渡り、
高原らしい天気で、歩くのが楽しいといった表情で又行進が続けられた。

MMはまるで、少女のようにユンカースの手を握り歩き始めた。
山上もニコニコ顔でそれの後ろについて、歩き始めた。
例によって独特のリズムを醸す様な歩き方である。

ハルプリンは、司会者のように次なる話題を提供しようと、
今あった事件をもじった話をし始めた。
「本当に笑いというのはいいですね。
笑っているときの自分姿は中々思い出せないのですが、
泣いている自分は比較的なリアルに思い出せるのですが。
それは何か笑うという中に記憶を疎外するような意味というか傾向があるのでしょうか?大脳生理をおやりのコリンズ博士、いらっしゃいますか?」
「はいはい、とうとうお鉢が廻ってきましたな。
私はバークレーで認知科学教室を持っているコリンズです。
今のハルプリンの話は、中々面白いものであるが、
笑いと泣きの間というのは対称でも何でも無いと言うのが、私の考えで、
笑いといのは一方で思考の停止を要求すると言った働きがあります、
最も泣くという場合も其の極限では思考停止を供与するのですが、
これは感情が高ぶってくるとそうした停止状態になるということで、
更に言えば、笑う方はかなり感情そのものによる表現形であると考えられるのに対し、
泣く方は色々のバリエーションの思考へのアプローチといえる場合が在ります。
つまりどうしても泣けてくるというような状況では一方で思考の深化が停止してしまう。しかし、泣くことでより深い意味を状況に付与するといった意味での記憶は為される。笑う方は逆に思考を付属させず、笑った事実が重要になるといった記憶の残り方をする。特に表音文字系の文化圏では、
笑い方の持っている表情を笑いの中に求める傾向があるが、
逆に表意文字系文化圏では笑うこと自体が非社会的な意味での、
個人の意味にしか考えない傾向がある。
大衆が皆笑うといった劇場的なものを普段から意識しては居ない。
というわけで、過去の色々なものに付着させて情景が記憶されると考えると、
どうやら笑うことによって其の仔細な理由や意味づけは、
必要ないものとなるという意味で記憶向きの事象ではないようである。
だが人が思い出す人の顔の表情は圧倒的に笑顔なのである。」
「なるほどなるほど、
笑いは事象的に記憶向きの要素が少ないというコリンズ博士の話ですが、
MMはどう考えますか?」
「そうですね、私もいま少し前に大笑いをさせられて、
半べそを掻いていたのですが、
泣くというのはどうやら女性の特権化しているといっても良いような環境ですから、
特に泣くことの意味を少し話してみたいと思います。
よく小さい子供が泣きます。
これは一定に言葉にならない不測的状況が泣くと言う現象に
訴えるといった意味があります。
むしろこれは他の動物の赤ちゃんが泣くのと似た現象かもしれません。
つまり助けを呼んだり、所在を明らかにしたりといった、
生存上の必要によって啼くと言ったものです。
それに引き換えて人間、
つまり言語での思考によって意思や気持ちを自己確認する習慣が付いている場合には、
泣くことがある意味で一定の思考過程を過ぎたという証になっている。
そこでは泣きながらもやっぱり其の対象化している事情や経過、
そして其の情景までも意識している気がします。
それは切なさや絶望やそして譬え様もない同調を呼び起こす情景です。
其の上で、真間あることですが泣いている自分の形や姿を見ているのです。
ですから女性にとっての泣いている姿はかなり複雑でもあるし、
単純極まりないといった場合もあるといえるでしょう。
でも記憶されるのは、そうした意味では泣いていたという事実と
そこに至ったであろう理屈であって、
やっぱり泣くことも記憶向きではないような気もします。」
「なるほど、ですね。
僕などは幼年期の思い出というといじめられて泣いているの図というのが
かなりあるのですが、これは結構鮮明で、
どうして泣かされているのかを今もかなり覚えています。」
とハルプリンが一寸おどけたような調子で話を継いだ。
「今のハルプリンの記憶については、
被害者意識というがのが絡んでいるので、
状況そのものが既にルーチンとしている可能性が在り、
状況に対応した泣き方といえるものでしょう。
それに対してMMの泣いていた情景の記憶というのは自意識という点で、
かなり男の子とは違った精神状況があって、
其の自意識の高まりの一つの頂点として、
泣く行為があるといえるものでしょう。
ですから泣いている姿はかなりよく意識できているのではないかと思える。
しかし恐ろしい話をすると、笑いにも泣きにも共鳴・同調作用というのがあることは、
この前の大笑い大会みたいなのを経験しておられるので分かっておられると思いますが、
実は何万人もの聴衆が居て、其の中で悲しい報告がなされると、
人々が一斉に泣いてしまう、つまり思考停止状態になってしまう、
そこでこうした状況作っておいてから、
集まった人々に一定の強要をするといった大衆操作の手法が為されていた。
ファシズムやナチズムそしてウルトラセントラリズムといったことを、
意識してやっていた時代がつい最近まであったのです。
これが大衆の心を操る心理的操作であることは逆に笑いや泣きといったものも、
政治や社会運動の手立てとしてしまうと、
とんでもないことが起こってしまう。訳なんです。」
「おやおや凄いところまで行ってしまいましたね。
では逆にこうした社会的な緊張状況を解いた例というのはあるのでしょうか?
社会心理にお詳しい、ソーン教授、いらっしゃいますか?」
「さっきまで居たのですが、水のみ場から出てこられてないようでーす」
と学生の参加者から報告があった。
「さっきの例ではないが、
一定に状況が続いていてその結果の妥当性が泣く行為としてあると仮定すると、
それを解きほぐすのはやはり対極的な笑いやなき的な笑いであって、
笑うというのは、その意味でも記憶的なものではないのでありましょう。
これは私の単なる経験からですが。」
とユンカーズが珍しく自主的に発言した。
「でも、もらい泣きというのは何時も在って、
隣の人が感激していると、どうしてもそれに同調して染むといった現象が出てくる。
アドラーではないが間主観というのも結局はこの同調作用というものが
間主観を生むのではないかしら?
しかしその間主観ではかなり主観が確立しているという前提でも、
起こる作用であるとされているわけで、
単なる同調作用だけではないという意味もあるらしいのだが、
私はこの共鳴的な活動は大脳の左脳と右脳の関係にもあって、
対称性を持つものにはことごとく多かれ少なかれあるものだと考えています。」
と今度はMMが学者らしく力強い口調で言った。
「そこで問題なのはそうした対称性を利用した言い方が、
プロパガンダには殊に多く用いられているという事実かもしれない。
我々は常に公正であるべきために、
そうした影響を絶とうとしているのであるけれど、
我々の感情は常にそうした警戒をしていないわけで、
其のことが持っている努力に対しての、
或いは人格としての独立性をそうしたものは崩そうとしているということが、
自覚されなくては成らない時期に来ているはずなのだ。
つまりエセテックな民主主義といったものに、
我々がもっと鋭く対峙していくということでもあるが、
より精神の自由さが必要なのかもしれない。」
コリンズ博士はこぶしを強く握ってそう話していた。

13回目はここまでです。
続きます



さて「健康談義」の番です

口臭と公衆道徳
息というものはかなり色々な民族によって捕らえ方が異なると考えるのは、
自然な発想というものだろう。
われわれが自然現象を擬人化してみるのはかなり普遍性があるといえるものとして、
北風が所謂氷の国の巨人の息と見立てる風のことがある。
古代ギリシャでは八方向の風の主を神として崇めていた、
アテネにはその象徴の風の塔なるものが現存している。
風がすなわち息であると言う実感は何時ごろから、
つまり個人的な意味で言う成長のどの段階で無くなるのだろうか。
確かにケガや虫刺されの時には、母親が息を吹きかけて、
『フゥ、フゥしたからもう大丈夫』とか
『チチンプイプイ』とか言って
幼児を宥める事はまだ続いているような気がする。
古代の人や或いは現代の幼児は息の持っている匂いと圧を、
魔力のようなものが宿る風として感じていたのであろう。
確かにヨーロッパでは真冬の北風や春先のシロッコといわれる、
サハラ砂漠発祥の西南風には特別の意味が込められ、
悪霊や魔的な威力を感じていて、
疫病の源として恐れもしていた節がある。
それに類する事はわが国にもあって、
「アゼ」とか「アナゼ」とか言う北西風(地域によって西風や北風)に、
不吉なものを感じていて、忌み嫌う傾向がある。
主に漁師集団では嵐の前兆といった意味があったり、
流行り病の前兆現象という部分も在るようだ。
これらの現象を擬人的なものに置き換えられる感性には、
確かにモノ的力としての風圧の他に、
風の中に極薄いが匂いを感じ、
湿度を感じ、
温度を感じていた。
現代人が感覚的な退化現象をどのように思うかは別にして、
「息」そのものが持っている意味が、色々な場面で、
一定の意味を持っていることには気を使う必要があるに違いない。息を潜めなくてはならない状況というのは困るが、
子供が母親の息を神聖視している構図はやはり洋の東西を問わず美しい光景である。
その構図を見るとその訳は母親の息には変な臭いがないと見れる。
不思議である。
よく考えると母親は授乳期には特に自分自身で、
ラクトフェリンを大量に生産しているわけで、
非常に強い免疫的防御が為されていると考えられる。
つまり口臭が無いか或いは幼児と同じにおい状況にあると考えられる。
離乳期に母親から口移しで食べ物をもらう光景でも、
同じ意味がそこにはあるといえるだろう。
それは哺乳動物全般に渡って言える、大いなる摂理に類することとも考えられる。

現代社会の匂い環境は18世紀の近代都市化によって、圧倒的に悪くなった。
それは見事に人類規模での嗅覚退化現象と言ってもいいようなものであった。
我々の嗅覚はこうして12歳ぐらいから退化を著しく早めるといったことになり、
5感の中でも特異な文化的展開を図るようなものへと変化したのである。

古来この国には「香道」といったものが在り、匂いについての文化意識は富み強かった。
これは海浜の長さを長大に持つ国土的な意味を持っていると考えられる。
つまり魚類、ことに貝の類は、
狩猟での肉類に比べ、
腐敗や貝毒などの見分けがし難い上に、
その毒は食らえばてきめんに死を招くほどの威力があった。
獣の肉などは腐りかけが美味しいなどということがあったが、
命がけの海産のたんぱく質の仕分けには、
当然伝統や作法があったと考えてもよいだろう。
つまり命がけの匂いの嗅ぎ分け技術が保全される傾向にあった訳である。
DNAにそうした特性が刻まれていても可笑しくはない訳で、
近頃の香水師なるものに、日本人が選ばれている訳も、
納得できるかもしれない要素ではある。
つまり匂いには拘る必然性が、この国の人間にはあるのである。

ところがこの埃っぽい都市環境は、
果たしてどれほど嗅覚を傷める役割を果たして居るかを、
考えなくてはならない状況になってきた、つまり環境保全の広がりである。

というのも人間の神経細胞は再生されないという原則から、
この嗅覚神経は逃れていることが解り始めてきた。
鼻腔の奥に潜むこの匂い神経の末端ではかなりの再生活動が認められているのである。そしてこの匂いの記憶のあり方についても、特異なものがあって、
神経心理学や大脳生理学の到達は遅れているのだが、
非常に特殊な保存が為されているらしい。
ひょっとするとこの「匂い文化」こそは、
21世紀の文化事象を飾る特異なものになる可能性すらもある。
ということになると,口臭問題は、
単純に口臭を臨時的に消せばよいといった付け焼刃な発想自体が、
一寸考えなくてはならない事になる。
やはり何故に口臭が起こってくるかといったことと、
食べ物の持つ特有の匂いを大切にしながら、
それを楽しむといった海浜民族的いき方を考えるべきなのである。
とは言っても例のにんにくや丁子そして五香粉などの匂いは、
食欲をそそるものだし、
かといってその残り香を漂わさせてデートも無かろうというわけで、
消臭剤の需要は伸びている。

考えるべきはこの無臭化作戦は本質的に自分の嗅覚をも
蔑ろにしている傾向があるということなのである。
その逆投影が「老醜≒老臭」問題なのである。
基本的には家にはその家独特のにおいが強烈にあるということは、
他人の家や海外旅行などで他家を訪ねると解るもので、
それはある種の文化的様相さえ感じさせるものでもある。
これを全部無臭にしようというのは、
どう考えてみても生活の基盤を無くさせる所業であるとさえ感じる。
だがどうしようもなく自分の匂い環境とのずれが激しすぎて、
耐えられないといった状況もまたあるのではあるが、嗅覚の持続時間はそれこそ30秒とか40秒といった単位であってみれば、慣れや馴化というものが如何に嗅覚にとって重要かが解るというものである。
存在の一定の条件として、多分匂いは個性の表現形として、
外に出される一定の信号であったと考えられる。
それは哺乳動物に特有の、或いは有性生殖生物の存在に纏わる条件であってみれば、
明らかに自分の匂いを消すということは個性を消してしまう行為に他ならない。

ある調査で言われているのは、口臭のひどい人にあった場合、
1-相手にそこはかとなく伝わるようにする。
2‐知らん顔をして正面に立たないようにする。
3‐そっとその場を離れる。
4-チャンと言って、注意を促す。という回答例を求めた。
すると60%以上の人が-そっとその場を離れると答えたそうで、
-チャンというというのは極親しい人でも中々-だそうで,
其の対象はといえば、親や兄弟止まりらしい。
体臭や口臭の微妙な問題は、ある種の民族的バックグランドすらも、
いや個人のアイデンティティすらも包含する大きな問題を内包しているという訳である。
取り敢えずで言えば、
TVで口臭を無くしましょうてなモノでなくせる筈も無いが、
かといってそっとその場を立ち去られても困る。
不快感を催させない範囲で大事にしましょうなのである。
自分らしさの一部であるとするには、口臭は如何にも変なのであるが、
それは異常口臭は取りも直さずある種の信号として出てくるものなのである。
体調の異変、つまり病気の信号なのである。
一般に口腔、食道、胃での変化に対応している。 

口腔では歯周病を初めとして、口腔内雑菌の異常繁殖が主な原因であるし、
唾液成分の変調も口臭の原因になる可能性が在る。
唾液の変調では糖尿病や胃潰瘍などの異変での影響や
まれにはミネラルの不足によって唾液自体の組成変調が考えられる。
また舌の上にあるコケ状のものは舌苔(ぜったい)といわれているもので、
味覚神経叢の保護に役立っていると思われるが、
これが雑菌の繁殖によって肥大化するということで、
口臭の原因になる場合もある。
口腔内の雑菌は平均で約1兆個に達するといわれ、
体内へ流れ落ちるものや吐き出されるものを常に増殖して、
あるいは空気中や食品中から補っていることになる。
食道の変調では何と言っても食道がんによる口臭への、
影響を挙げておく必要があるだろう。
これは異物感による唾液分泌の増加のほかに化膿による膿漏洩がある。
胃については胃酸過多や無胃酸症更に腸閉塞等によるガスの逆流などが考えられる。
いずれにしてもこれらの症状は手当てを要する訳で、信号としては慎重に見分ける、
いや嗅ぎ分けなくてはならない。
てな訳で、口臭を余計なものとばかりあなどってはいけない。
確実にあなた自身に、ある変調を知らせる信号となっているわけだから。
あたや疎かにしてならないのだが、あなたの傍に寄って来る人にまで、
この信号を伝える必要は無いわけで、早く対応するに越したことはない。
そこで、母なるものの偉大さにあやかる訳ではないが、
ラクトフェリンの服用をお勧めしたい訳である。
唾液に混入し除菌作用と口腔内諸作用の補助を行う。
歯周病のはれや痛みにはラクパッチという歯茎に張るような形での即効のものもある。あの歯茎のハレ・痛みは物が美味しくなくなるだけではなく、
食欲自体も無くすほど嫌なものである。
中々ハレや痛みが引かないといった手合いで、
陰々滅滅たる気分になって来るものである。

ラクトフェリンの飲用では唾液のなかの含有量が増すことになり、
常ながら口腔内の環境整備をやってくれる。つまり口臭を抑えてくれ、
自然な美味しさと食品の香りを補償してくれる。
口臭を消すことばかりに気を取られれば、
おのずと自分の嗅覚や味覚をも台無しにしかねないが、
この方法であれば本来の唾液の力を伸ばして、
より健康で、より美しい自分を取り戻せると言う事になる。

で、ラクトフェリンの情報を読んでください。

そこで、ぜひ自分眼で確かめて欲しい。
ラクトフェリンの話である、HPを読んで下さい。

腸溶性ラクトフェリン研究会
http://www.ec-lactoferrin.org/lactoferrin/chapter4-5.html
健康コム
http://www.nava21.ne.jp/~uesugi/ken/
健康検索メディア
http://health-station.com/
商品情報:リーフベイン
http://leafvein.com/
と言うわけで、宜しく。

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